”勘違いにも似た根拠のない自信”は何気に大切だと思う

最近、”勘違いにも似た根拠のない自信”は大切だと思うのです。何かに悩んでいたり、一歩踏み出せずにいる方々のちょっとした参考になればと思って書かせてもらいます。私の個人的な体験を踏まえながら。

 

私は二浪はしましたが、第一志望の大学に合格することができました。医学部などでもない私立の文系学部なうえに、二浪したので端から見たら受かって当たり前とは思われるかもしれませんが、自分の中では1つの成功体験だと考えています。そして、合格できた一番の要因は、今回のタイトルにあるように、”勘違いにも似た根拠のない自信”だと思っています。 

 

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第一志望を決めた理由

 

私が第一志望の大学を慶應に決めた理由というのは、特別大きな理由があったわけではありません。私が高校 2年の時に「ドラゴン桜」(偏差値の低い高校生が東大を目指す話)というドラマを見ていたのも大きいですが、”なんとなく”というのが一番です。(何で東大じゃないのかというと「東大は無理そう」と思っていました。)

 

「なんとなく慶應ってかっこいい」

 

「なんとなく慶應入ったら人生開けそうな気がする」

 

「なんとなく慶應入ったらモテそう」

 

などとも考えていましたし、少し真面目な考えだと

 

「サッカー以外の自分なりの成功体験が欲しい」

 

というのもありました。

 

そして一番大きかったのが、

 

「なんとなく俺って慶應っぽくね?」

 

という意味のわからない自信。本当に何の根拠もないです。

 

最初の頃の偏差値

 

ちなみに当時の受験勉強を始める頃の成績は、あまり詳細までは覚えていないですが、英語の偏差値が28くらいだった気がします。これは高2の冬くらいに行われた実力テストのものです。どこからその自信が出てくるのか。しかも慶應だと英語は最重要科目と言っても過言ではありません。高校も都立の中堅校くらいで頭がいいわけでもないです。

 

進路を決めるときにも、担任の先生からは、「目指すのは構わないが、滑り止めは受けたほうがいい」「他のところもいいところだよ」などと暗に「無理だ」と言われているような感じでした。また、父からは鼻で笑われました。

 

それでも、「俺は慶應っぽい」という自信は何故か揺るがないんです。それがあるから、勉強も頑張ることができたと思っています。実際に勉強することにそんなに苦痛に感じていませんでした。(もちろん勉強が好きというのもありました。)この”勘違いにも似た根拠のない自信”というのは、力の源になると思っています。

 

他でも生きた根拠のない自信

 

この”勘違いに似た根拠のない自信”というのは、他でも生きたように思います。小学生の時にサッカーで今で言うセンターバックをやっていたのですが、当時は「俺は絶対ボランチかトップ下だ!」などとずっと思いながら、センターバックながらも組み立てを意識してプレーしていたら、ボランチ、そしてトップ下になることができました。(今ではセンターバックボランチもトップ下も好き。むしろどのポジションも好き。)私は監督に直訴したりできる程の度胸はないのですが、なんか伝わったのかなと思っています。

 

あとは最初の会社の時の営業でも生きていたと思います。新規開拓営業に向かないと思いつつも、「向かなくてもある程度いい成績を出すことはできる」と何気に根拠のない自信がありました。

 

”勘違いにも似た根拠のない自信”は力の源になる

 

この”勘違いにも似た根拠のない自信”があることで、自分の今ある力以上のものが出せるようになると私は感じています。なんか理屈じゃない自信というか、直感にも似ているのかもしれません。内から湧き上がってくるというか。そして、自分が持っている根拠のない自信に従ってみると、後悔することも少ないように感じています。

 

私の個人的な体験をふまえながら伝えさせてもらいましたが、何かしら悩んでいたり、一歩踏み出せない方々のちょっとした参考になれば幸いです。

 

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